桑田佳祐/白い恋人達 あなたの冬の恋物語
 
『エスプレッソコーヒー』

冬の寒気団に踊らされた枯れ葉の舞う並木道を行き交う人々は 皆コートの襟をたてて背を丸め、足早に通り過ぎて行く。
隣を歩く彼女は、いつもは私の腕にしがみついて寒さをよけてい たのだが、 今はかろうじて、すれ違う人がその間を通れないく らいの距離を保ち、黙ってうつむいたまま、私の歩みに合わせて いる。
2年ぶりの約束の日である今日、あの懐かしいいつものコーヒー 屋で再会した後のことである。

その年のクリスマスに、突然アメリカ行きを告げた彼女。ヘア ーデザイナーの夢を叶えたいと。
大学を卒業しまだ商社マンとしてかけだしの僕は、ニューヨーク 支社への赴任を夢見ており、 ゆくゆくその夢が現実になるその 時には、彼女をつれて行こうと考えていたのだった。
結局そのことも口にすることなく、彼女のアメリカ行きを見送る ことになってしまった。
2年後のこの日にこの店での再会を約束し、雪の降り続く並木道 を彼女は私に背を向けて一人で歩き出していったのだった。 お互いこの日を忘れることなく、しかし彼女は1時間遅れでや ってきた。
変わらずアンティークな店のマスターは、少し寂しくなった頭と 引き替えに、口ひげがたくましく見えた。
あの頃と同じエスプレッソコーヒーを僕は注文した。彼女はミル クティー、これもいつものやつ。
お互いに懐かしい思い出や会わない日々の出来事を語り合った。 何も変わらない彼女のおしゃべりや仕草に、空白の時さえも忘れ てしまうほどでした。
彼女はほんの2ヶ月前に東京へ戻り、現在はアシスタントデザイ ナーとしてアメリカ時代の友人の店を手伝っているが、来年中に は隣町で自分の店をだすのだという。
僕は商社勤務を続け、時折海外の支社出張をこなして、来年2月 から念願のニューヨーク支社赴任というところでした。
ひょっとしたら彼女とのアメリカ行きの希望が叶うのではと思っ ていたのだが、妙なすれ違いでした。
どうやら2年前から僕たちの歯車がずれたままになっているよう だった。

何となく喋りかけるのをためらったまま、二人並んで並木道を歩 き通した。
その出口にたどり着いた時、やっと口を開いた。
「やはりこのシチュエーションでは『サヨナラ』と言うのだろう か。」
「2年前は『またエスプレッソにつきあってくれるかい?』と言 ったわよ。」
「今日という日が来るのを信じていたからね。でも今はそれもな いからな。」
そう言いながら僕はマスターが記念にと譲ってくれた先ほどのコ ーヒーカップを彼女に手渡した。
「私にはエスプレッソは苦すぎるけど、あなたのエスプレッソは 甘い思い出よ。 なんてね。」
彼女はペロッと舌をだし、カバンから薄青色のハンカチに包んだ ままのあのティーカップを僕に差し出した。
「このティーカップにはいつも君の笑顔が写っていた。ずっと消 えないようにするよ。」
「ありがとう」
そう言うと彼女はくるりと僕に背を向けて、一人で歩き出した。 あの時のように。

年が明けて、いよいよニューヨーク行きも来週にせまったある 日の午後、あのいつもの店でいつものエスプレッソコーヒーを注 文した。
柄の変わったクロスのテーブルに、ミルクティーは、今はない。 弱々しい冬の木漏れ日が、ガラス窓を通ってテーブルに丸裸の街 路樹の影をおとしている。
ゆらゆらゆれるその影をぼんやりと眺めていると、冬という季節 が妙に別れの似合う季節なのかと、彼女の後ろ姿に揺れる少し長 めの髪の毛をだぶらせていた。
「今日のエスプレッソは格別に苦いね」とマスターに問いかける と、「あちらではカプチーノでも味わいなよ」と微笑みながら返 した。
コーヒー屋のマスターらしい、粋な贈りことばであった。
 
 
2001-11-02 ターキーオンザロックス
 
 
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